「放送ウーマンであること」
2011年3月23日

 巨大な地震、津波、さらに原発事故と、未曾有の災害が起こった。東北から関東まで被害は広域にわたる。テレビでは連日、 各放送局をつないで被災の実態を伝えるレポートが続いた。報道機関の役割とその重みを痛感する。彼ら自身が被災者である場合もあるし、 食料が十分にいきわたっていないこともあるが、そうしたことは放送では語られない。

 レポートをする中で女性たちの姿が目立った。私が見た範囲という限定つきではあるが、恐怖と緊張の中で、若い女性記者や アナウンサーたちが抑制されたトーンでレポートを伝え、ヘルメットをかぶったスタジオで、大きな余震に見舞われた折にも冷静に対応し、 状況を伝える姿にある種の感動すら覚えた。こうした状況が当たり前になるまでどれほどの時間を要したろう。

 放送の世界は男性が圧倒的に多い。長時間労働の現場でもある。女性が当たり前に仕事をすることができるようになるまでいくつもの ハードルを越えてきた。放送の中で女性が男性同様に仕事を全うすることは容易ではなかった。「女性初の記者」、「女性初のカメラ」、 「女性初の管理職」、女性初の・・・・そのハードルを越えられた人もいれば、越えられなかった人たちも少なくない。女性たちはそうした体験を共有し 、語り、次世代が少しでも良くなるようにそれぞれの立場で後輩にバトンをつないできた。勿論女性が働くための法整備が整ったことも大きい。 数えきれないほどのハードルを越えた先に、未曾有の災害を報道する放送ウーマンたちの姿があるのだ。

 日本女性放送者懇談会の「放送ウーマン賞」の贈賞式が今月23日に行われる。パーティという形式は避けるが、延期することなく実施する ことを決定した。今年の受賞者である、脚本家の大石静さんと琉球朝日放送のキャスター三上智恵さんに同意して頂いたことも大きい。 私たちは放送で何を伝えるのか、放送に何ができるのか、こういう時だからこそ集い、語り合うことの意味は大きい。

 被災地での避難生活が長引くにつれ、女性特有の健康問題や、お年寄り、子どもの精神的ケアなど、より細やかな報道が望まれる。 市民としてできることをしながら、放送関係者に対して私たちがどのように支援ができるのか。長期に考えていくことの重要性をかみしめている。  


「仕分け作業の現場にて」
2010年5月26日

 民主党の目玉政策の一つである事業仕分け第2弾の最終日、会場の五反田TOCに向かった。 「女性と仕事の未来館」の仕分け作業の模様を確認するためである。未来館はその名の通り女性と仕事を考える上での重要な拠点であり、 アナウンスハウスが事務局を預かっている2つの団体−「松井久子監督の第三作を応援する会」と「日本女性放送者懇談会」―に とっても大切な施設である。シンポジウムやセミナーを何度かここで開き、ここから情報発信もしている。

 仕分け作業は予定より30分ほど遅れ午後4時50分から始まった。200席ほどある椅子のほとんどが埋まっており、立っている人もいる。 熱気で会場はかなり蒸し暑い。市民の関心が高いのかと安心したが、よく見ると、取材者がかなりの割合を占めている。

 仕分け作業では、担当省庁の厚生労働省雇用均等・児童家庭局長から事業の目的や内容、継続の意義などについて説明があり、 その後、評価者である尾立議員をはじめ、弁護士、民間企業の有識者らから質問が相次いだ。民間事業との違いは何か、 各自治体の女性センターとの比較はどうか、58億円という建設費故に箱物ありきの考えになっていないか等、いずれの質問・指摘も 尤もなものであった。何より、質問した男性の評価者全員が女性と労働に対する事業の価値を認めていることを感じたし、 そういう趣旨の発言も相次いだ。

 しかしながら、国が税金を投じてすべきことは何かという問いかけに対する明快な回答は、担当省庁の責任者からは得られなかった。 また、省庁側が「私どもの女性と仕事の未来館は・・・」という物言いを何度かしたことに対して、評価者から「そういう物言いは やめたほうがいい。なぜならこれは国費、つまり国民の税金を使っている事業であり、厚労省の持ち物ではない。」と発言したことに、 こちらもはっとした。こうした一見小さいことのような発言に官僚の意識が垣間見える。そのことに対する指摘であった。

   1時間15分にわたる議論の末に出た結果は「廃止」。評価者9名中5名が廃止で、現状維持は2名であった。 女性と仕事の未来館で働く現場スタッフの意識の高さや日々の努力とは違うところで一つの大きな決断が下されたことが残念であると 同時に、この日を迎えるにあたっての危機感というものが官僚の発言から感じとれなかったことも残念であった。 現場を担うスタッフのショックは相当なものであろう。

 翌日の新聞には、結果だけを載せている記事が多くその過程が見えない。一社だけ、「この事業の重要性を認識した上で、 改善してほしい」という評価者の発言の趣旨を受けて「一旦廃止」と書いた記事があった。記者の思いが込められているようにも感じた。

 この日は、アナウンスハウスの加藤さんと室さんも参加し、現場でなければ感じ取れない色々な思いを感じたという。 室さんは、女性と仕事の未来館のこれからの対応を見ていきたいと早速動き出した。アナウンサーもこうして現場を踏みながら 成長していく。国が行うこの事業の重要性を、どのように周囲に伝えていくか。私たちもこれからそれぞれの持ち場で発信していく。  


「初めての発表会報告」
2010年2月22日

 今週(2月22日週)のウイクリ―エッセイで竹田のり子アナが、アナウンスハウスの朗読会の準備の事を書いているが、 その後について触れておこう。

 とてもおしゃれな銀座のギャラリーを予約したのは、去年の夏。時間をやり繰りして勉強会に出てくる若手や、 アナウンススクールの卒業生たちに発表の機会を与えたいと思ったのがきっかけである。とにかくやってみようと。 その割に目標は結構高く、1.表現の幅を広げる。自分の殻を破る。2.会場のお客様と共有できる時間・空間にする。 3.表現とジャーナリズムとユーモア(またはアイロニー)の融合を目指す。この3つである。

 ちょうどアナウンスハウスは昨年設立15年を迎えたこともあり、朗読以外に、1994年から2009年までの社会の出来事と、 出演者のライフストーリーを織り交ぜて15年を振り返るオリジナル作品を作った。皆が揃える日が少ないこともあり、 前日の最終リハでは、メリハリがきかなくて、これでお客様の心を揺らす事ができるだろうかと不安を覚えた。

 当日のメンバーの出来は見事であった。(と私が言ってよいのだろうかとも思うが・・・)緊張感の中にもこの時間を 楽しんでいることが伝わってきた。オリジナルの「アナウンスハウスと15年を振り返る」の歌あり、踊りあり、朗読あり、 ニュース解説あり、そして独白ありの40分は、客席と一体となっていた。アンケートでも「自分の15年間と重ね合わせながら 見ることができた」という感想をもらい、当初の目的をある程度達成することができたと思う。

 それにしてもメンバーの語りや表現には、共通する思いがよく現れている。アナウンサーという仕事への憧れと挫折。 契約や派遣という不安定な身分と仕事のやりがい。結婚、仕事、離婚、自立。親との関係など、多くの女性とも共有できる事柄が 浮かびあがる。そして何より声の力が持つ魅力とそれが対象に伝わった時の喜びや達成感は、プロのアナウンサーに限らず、 多くの人が体験するところであろう。

 若手の発表の場をと思っていた私が、「夕鶴」のおつうを朗読し、メンバーが古着屋で着物まで用意してくれて本番に臨んだ。 年齢で自分の表現の幅を狭めないという意味では、私自身も自己規制という殻を破ることができたのかもしれない。若手に感謝である。  


「課題朗読は『君死にたまふことなかれ』」
2009年11月13日

 堺が生んだ歌人、与謝野晶子の歌碑を巡るツアーに参加した。写真はその中の一つ「君死にたまふことなかれ」の歌碑で、大阪府立泉陽高校の敷地内にある。(高校生たちが、「こんにちは!」と元気にあいさつしてくれた)

 私が「君死にたまふことなかれ」に初めて触れたのも高校生の時だった。お下げ髪でセーラー服を着ていた。(こう書くだけで恥ずかしい)
 当時放送部員だった私は、NHK杯高校放送コンテストに参加した。この高校放送コンテストの決勝大会は、現在では毎年東京で行われているが、当時は各県持ち回りで開かれていて、私たちの年は広島市で開催された。その決勝大会での課題が、「君死にたまふことなかれ」だったのだ。初めて触れた晶子の詩であったが、当時17歳の私にもこの歌は強く心に響いた。何度も何度も読んだ。

 歌碑を巡るツアーでは、与謝野晶子の特別展示会にも立ち寄った。そこでは「ジャーナリストとしての与謝野晶子展」が開かれていた。歌人という印象が強い晶子であるが、晶子自身、ジャーナリストである事を折に触れて書いている。会場には、晶子が後輩の女性記者に送ったというリバーシブルの帯(表面が暖色基調で裏面は寒色基調)が初めて展示されていて、その側に晶子が書いた「女性ジャーナリストの心得」があった。

1.身だしなみに気をつけること。美しい服装を。
2.お化粧は忘れずに。徹夜明けの顔と服装には注意を。
3.現場には喪服を。不幸は突然訪れるもの。自宅に帰れない時もあるので。

 晶子の教えは現在の報道現場の女性たちにも受け継がれているが、この「心得」を展示会場で書き移す時、大先輩がそこにいるような緊張感を覚えた。社会に向かって、怯むことなく戦争反対を唱えた晶子。女性の人権を唱えた晶子。会場で様々な作品に接することで、偉大な晶子がそこにいるような感覚にとらわれ、身震いするほどであった。

 ほぼ1日かけた晶子を巡るツアーで、あの時の朗読課題が「君、死にたまふことなかれ」であった理由がわかった気がした。放送コンテストがヒロシマで開かれる意味。ジャーナリスト晶子の反戦詩。若い世代に伝えるべきことを考えた上での課題だったのだろう。気づくのに30年以上かかってしまったが、そのような良識ある放送人の先輩たちによって選ばれた課題に17歳で出会えたことの重みを改めて感じた次第である。

「『女性放送人40人の全仕事』プロジェクト」
2009年10月5日

 「29歳のクリスマス」のディレクター星田良子さん、「ハケンの品格」の脚本家中園ミホさん、「風のガーデン」の ディレクター宮本理江子さんという豪華な顔触れのシンポジウムが、六本木アカデミーヒルズ49スカイスタジオという、 これまた豪華な場所で開かれた。放送界で働く女性たちのネットワークである日本女性放送者懇談会が設立40周年を迎え、 その記念事業として、活躍する放送ウーマンに語ってもらうという連続企画の第一弾で、これから1年かけて40人の女性放送人が登場する。

 冒頭の3人は、仕事上は勿論のこと、個人的にも仲が良いとのことで、このメンバーならではの空間から紡ぎだされる発言の数々に、会場は共感し、 爆笑し、最後には力づけられた。キーワードは「闘う」であったように思う。それぞれ立場は違うものの、出来あがった作品を振り返ると、制作現場で脚本家、 演出家、俳優、スタッフたちがぶつかり合い、格闘したプロセスがあるもののほうが良い作品になっているという。放送の現場にも色々な上下関係や 力関係が当然働くが、若い人たちには、もっと食ってかかったり、ぶつかったり、失敗したりすることが必要ではないかとのアドバイスもあった。 なぜならば、そうした経験をすることで、自分の考えがより明確になっていくからである。ドラマ作りの現場には、60人から100人のスタッフがいて、 そうしたスタッフや出演者と真正面からぶつかり、格闘することは、想像するだけで相当のエネルギーを要するが、こうしたプロセスを経た作品が、 視聴者の心に届き、放送史に残る作品となっていくのであろう。世界的不況の影響もあり、時間をかけて人材を育てようとしていなことは、業種・業界を 超えて共通の課題でもある。

 会場には100名を超える参加者が集まる盛況ぶりであったが、実行部隊は、昼も夜も仕事をしているような面々で、かつほとんど手弁当である。 40周年の記念行事プロジェクトを率いる今年の会長はNHK技術部の糸林薫さん。ドラマ作りの音声現場を支えながら、会のプロジェクトの為に奔走している。 アナウンスハウスの遠田恵子さんは35周年プロジェクトの折にリーダーを務め、大輪香菊さんは昨年度の会長としてこの40周年の地盤固めをした。 会長の1年は相当にハードな1年である。手弁当でこうした女性たちのネットワーク活動が40年続いてきた事の重みを改めてかみしめる。

 年々忙しくなり、人件費削減、効率化を求められる現場だからこそ、志や思いを共有する場や仲間づくりが必要である。 そういう思いを抱くメンバーたちによって、40周年のプロジェクト「女性放送人40人の仕事」が進められ、41年目にバトンをつないでいく。


「パーソナルメディア ⇔ マスメディア  〜放送が変わる夜明け〜」
2009年9月24日

 3日間にわたる第7回市民メディア全国交流集会「東京メディフェス2009」が終わった。

 私が担当した「命綱としての携帯電話」では、携帯のフィルタリングについて性的マイノリティの人たちのサイトが「有害サイト」に入っていたこと、 当事者たちの働きかけで「有害」から除外されたこと。それでも自治体などのPCの「標準仕様」では、フィルタリングにかかっている可能性が高い ことなどが報告された。会場には、そのフィルタリング会社で仕事をしているという男性がいて、そのフィルタリングは解除することができるという貴重な 情報提供もあった。また、仕事と子育てで多忙なシングルマザーにとって、携帯は、必要と感じたその時に仲間と連絡を取り合い相談しあえる、 精神的にも実務的にも貴重で、まさに命綱だとの報告だった。

 日本のようにケータイからインターネットのアクセスが多い国は、世界的には例外で、日本独特のケータイ文化が育っているという。 あのちっちゃな画面に一文字一文字入力していくことを苦に感じないのは、指先が器用と言われる日本人の特徴だろうか。個人個人が繋がり、 今必要な情報や思いをリアルタイムで共有できる「ケータイ」というメディアの入り口は広く、その奥も深い。極めてパーソナルなメディアだからこそ、 テレビ以上のメディア・リテラシー教育が必要ということも実感した。

 メディフェス最終日には、総務省の副大臣が登場し、市民が自分たちの意見をメディアで発信できるようなパブリックアクセスの重要性、 並びにNHKと民放と言う2現体制に市民メディアのようなオルタナティブを加えた3元体制が重要であることも認識していると明言し、放送行政を政府から 独立した行政機関が担えるような法案を提出すると話した。翌日の新聞各紙にも大きく掲載されたが、この発言が、市民メディア全国交流集会の場で なされたこともその意味も紙面に掲載されていないのは残念なことだった。

 新しい政権が誕生し、これまでとは違う新しい放送体系が生まれる可能性が高まった。個から個へ届ける情報を発信している人たちと、マスに情報を 発信する人たち、メディアの在り方を考えている人たちが、同じ会場で議論し、提言し、意見を述べる姿に、新しい放送の夜明けを見るような感動と 新たな緊張感を覚えた。

 来年の市民メディア全国交流集会(通称メディフェス)は、9月に東京(三鷹)で開かれる予定である。


「「衣」「食」「住」+メディア 〜いまを生きるために必要なもの〜」
2009年9月14日

 携帯には結構世話になっている。移動中の電話やメール連絡、ニュース速報チェックや、ちょっとした調べ物にも利用する。 確かに便利であるが、「いつでも、どこでも」利用できることは、私たちの暮らしからTPOも歯止めも無くしていると、 多くの人が指摘しているところで、歩く時間が電話をかける時間になっている最近の自分を情けなく思うこともある。 柳田邦男氏等が提唱する「携帯を使わない日を作ろう」は大切な視点だ。

 一方で携帯が社会的に重要なツールになっていることは見逃せない。大きな社会問題になった派遣労働では、 仕事をもらうのも失う場合も携帯一本であったりしたが、そうした若者を中心とした労働者が立ち上がり、共に闘う仲間を募る時にも 携帯が重要な役割を果たしている。労働者が個人で企業に立ち向かうのは至難でも、一人ひとりが集い力を合わせることで 組織と交渉するだけの大きな力になることもある。集う為のツールが携帯であり、携帯は連帯の為の極めて重要な役割を担っている。

 9月20日〜22日まで、表参道の東京ウイメンズプラザで、「TOKYOメディフェス2009」が開かれる。 今を生きる為に必要なものとしてメディアを考える市民メディアの全国交流集会である。21日午後2時半からは、シングルマザーや 性的マイノリテイなど、日常マス・メディアで大きく取り上げられない人々にとって携帯とはどういう存在なのか分科会で語り合う。 私は進行係として参加する。貧困層やマイノリティにとって足りない情報は何か。携帯というツールがどのような役割を担う(可能性がある)かなど、 当事者自らが発信し、問題を共有しようという試みである。こう書くとかなり堅苦しいが、メディフェスは、フェスティバルである。 3日間、多彩な分科会が開かれる。私たちに必要なメディアを通して、色々な人と出会い、語り、食べ、必ず飲み、多分踊り、楽しみ、そして考えたい。

 アナウンサーや、アナウンサーを目指す人たちにも来て頂きたい。マス・メディアの中だけの動きではなく、社会にはもっと多くの人々がいて、 もっと多くの情報が行きかっていることを知る場となることと思う。


「初めての『定年』」
2009年5月4日

 「幾つまで働きたいと思いますか?」
 「定年まで働きたいと思っています」これは大学卒業後入社することになったテレビ高知での、最終面接の折の面接官と私のやり取りである。当時の私は、これから30年以上にわたり仕事を続け「定年」を迎えた時の自分はどのような大人になっているのか、どんな人生を送っているのだろうなどとあれこれ想像し「定年」に憧れていた。

 残念ながら、その会社で定年を迎えることは叶わなかったが、別の形でこのほど初めて「定年」を迎えた。12年にわたり活動を続けてきた麻布法人会の青年部会、“サンエー・クラブ”で「定年」を迎え、総会後の卒業式で記念のバッジを贈られた。(写真)

 まあ、あまり実用的ではないものの、このバッジは、「定年」を迎えたメンバーにだけ送られるもので、三つ並んだAの文字は、麻布(Azabu)、赤坂(Akasaka)、青山(Aoyama)とサンエー・クラブが所属する街の頭文字を示している。
 会の活動の基本は税務関係等の勉強会だが、麻布・六本木界隈の清掃や献血運動、そしてチャリティコンサートなど社会貢献活動も活発に行っていて、私も、活動(とその後の飲み会)を通して多くの経営者の仲間と出会った。女性がほとんどいなかったこともあり、結構大事にしてもらったと自分では思っているが、メンバーの中には私のことがコワかった人もいたらしい。

 これまで多くの先輩たちが、卒業式で目頭を押さえ声を詰まらせながら挨拶をしてサンエー・クラブを卒業していく姿を見送りながら、私も会社をちゃんと経営して、先輩たちのようにあの場に立ちたいと一つに目標にしていた「定年」である。経営不振などで、その日を迎えることなく姿を消したメンバーが少なからずいる現実も見てきた。若い時に憧れていた形とは違うものの、ひとつの目標を達成できた喜びと、経営者としてのこれまでの道のりを振り返り、定年の日は結構センチメンタルな気分に浸った。「理香姉さん」と私を呼んでくれる後輩たちにお別れの挨拶をし、美酒を味わった。味わいすぎて翌日まで響いた。

 「定年」−続けてきた者だけがその日を迎えることができる。この言葉は今でも私にとって魅力的な響きを持つ。これからいくつ「定年」を迎えることができるだろう。次に向けてガンバロっと、小さなガッツポーズで気合いを入れてみた。


「どこで何をどう表現するのか」
2009年2月12日

 中村勘三郎さんのフジテレビの特番を見ていて、「こっちは命がけでやってるんだ!」と出演者を厳しく指導する彼の言葉が突き刺さりました。第一線で活躍している人がこうした必死の姿で表現の場に臨んでいる。だからこそ第一線であるということを改めて感じました。そして新たに優秀な若い人材を競争させながら育てようとする指導者としての姿にも大いに学ぶところがありました。

 若い人をどのように育てるのか、日々悩むところでもありますが、新しい世代の価値観に触れてうれしかった番組もあります。私の大学の教え子の一人H君は、まだ卒業して2年の番組ADです。その彼が毎日荒川に通い、そこで「地域猫」と呼ばれている捨て猫と向き合い制作に関ったというその番組を見ました(テレビ朝日 「宇宙船地球号」)。物言えぬ小さな生き物たちの行動を暖かく、かつ客観的に記録した映像の中には、捨て猫を「命」と捉え地域猫として守ろうとする人々、糞尿は環境問題だと指摘する住民、更に不況の嵐の中で生活が破綻しペットを「置き去り」にしてしまった「ご主人」などが描かれていて、そこには声を出せない小さなものの目から見た日本の社会が浮かび上がっていました。

 この立ち位置に彼の人柄−と言うより、彼の世代の立ち位置と言ったほうがよいかもしれません−を感じました。今の若者のほうが、弱い立場に寄り添う心を私たち大人よりずっと持っているのではないかとも感じています。競争することなく平和で豊かな社会に育った彼らの優しさは、弱さの裏返しであると言われますが、その側面も認めたうえで、宮城まり子さんの「優しいことは、強いこと」という言葉を、彼が関った番組から思い出しました。

 メディア環境などの変化でフリーランスのアナウンサーの仕事の場は減る傾向にあります。アナウンサーはニュースの伝え手であることを基本にしながらも、表現者であることを考えれば、報道だけに偏らず、もっと表現の場を広げることは可能でしょう。勘三郎さんの芸に対する貪欲で真摯な姿に学び、教え子が関った番組に励まされ、どういう立場で、何を表現するのか、私自身がもっと貪欲に動こうと今年の計を立てた次第です。(2月ですが・・・。)


「PCと合体する」
2008年12月29日

 年末年始は、ずっとパソコンと一体化したような日々を過ごしています。フリーランスの女性アナウンサーたちにインタビューをさせてもらっていて、それをまとめる作業に取り掛かっているのです。フリーになったいきさつや、これまでの仕事について、結婚や出産と仕事との両立などについて話してもらったのですが、どのアナウンサーのお話も、女性であることと仕事を継続することが関連しているようで、「女性アナウンサーとキャリア」、「女性アナウンサーと年齢」、「女性アナウンサーと容貌」等など色々なキーワードが並びます。

 アナウンスハウスのメンバーは、プロダクションの中では平均年齢が高いほうだと思います。多くのメンバーが、ラジオでニュースを伝える仕事をしています。「ニュースをきちんと伝えられるアナウンサーを育てること」が設立の理念でもありますが、年齢や容姿を超えてそうした実力を認めてくれるのは、テレビではなくラジオのようにも思います。

 間もなく、新年度の改編に向けてオーディションの時期を迎えます。テレビには若いアナウンサーももちろん必要ですが、多メディア多チャンネル時代を迎えて、キャリアのある「大人」の女性アナウンサーがもっと情報を伝える場に登場しても良いのではないでしょうか。(といってもこればっかりは、こちらには決定権はありません。)

 CNNやBBCを見ていると多くの「大人」の女性が登場しているし、必ずしも「美貌の持ち主」ばかりではありません(失礼)。日本でもいつかそういう日が来ることを願って、フリーの女性アナウンサーたちの仕事の場が広がるよう私なりに活動ができればと、皆さんのお話をまとめています。というわけで、パソコンと一体化した年末年始です。


「やさしいイルミネーションの光で」
2008年11月18日

▼こうなりました(12月現在)
 「谷岡さん! この前のエッセイからどのくらい経ってると思います?」「もうちょっとまめに書いてもらわないと・・・。」痺れを切らしたスタッフから催促の声。私も、一応気にはしておりまして、「原稿はいつでも書けるけど、写真はそうはいかないから結構携帯で撮ってるのよ」なんぞとホザイテいたのですが、写真はたまるが、原稿はあがらず、季節はあっという間に晩秋です。
 今回の撮影場所は、六本木の東京ミッドタウン。クリスマス用のイルミネーションを設営しているところを通りがかりました。上の並木の剪定のように見える写真は、クレーンを使って木に飾り付けを行っているものです。電飾を木に直接巻きつけないところに配慮があるんだなと感心していましたが、フランスのイルミネーションのスタイルで、シャンパングラスの並木を歩いているようなイメージだそうです。ミッドタウンのホームページでその模様がよくわかります。下の写真は、何人ものスタッフが畑仕事のような感じで腰をかがめて作業をしていて、近づいて初めて電飾を地面に飾り付けていることがわかりました。これがどのような光となるのか楽しみにしていましたが、こちらは「無限大の銀河」と名づけられ、時折流れ星も見られるという凝った装飾で、それはそれは美しいイルミネーションになりました。でも、その基は、一人一人の手仕事が支えているのですね。
 経済も政治も不安定なこのごろですが、優しい色のイルミネーションを静かに眺めながら、1年を振り返るのも悪くないかもしれません。ミッドタウンは、お店に入らなくてもゆっくり座ってくつろげる場所が色々あります。お勧めです。

「非常事態宣言とバカンス」
2008年9月18日

 9月初旬、タイに住む友人を訪ねた。新聞などでタイの政情が不安定という記事が載っており、出発の数日前には反政府グループと首相支持派の衝突でバンコクに「非常事態宣言」。TVニュースでも大きく取り上げられキャンセルしようか迷う私に、現地の友人は、「バンコクの首相府の周りだけのことだし、大丈夫と思う」とメールをくれた。「取材で行くと思えば貴重な機会」などと自分を鼓舞しながら飛行機に乗り込んだ。

 約6時間のフライトで到着した午後のバンコクのスワンナプーム国際空港は、拍子抜けするほど「日常」である。到着ロビーは、マジックで名前を書いた段ボール紙を掲げて乗客を探すツアーガイドや、家族・友人を出迎える人々で溢れている。私の緊張感は一気に緩んだ。
 「ね?普通でしょ?政治と国民の生活とニュースが乖離してるのよ。ニュースのせいで、観光客が減って、ホントこっちの人は大変なの」と友人が話してくれた。しかしながら、非常事態宣言が出たことは事実であり、死亡者も1人出ている。ニュースで全体像を知ることは難しい。伝えることの難しさか、限界か、はたまた、「事件」が起こっている「局面」だけを強調しがちなマスメディアの限界か。ニュースが伝えるバンコクと、私が降り立ったバンコクの温度差は大きい。

 そのバンコクから南に下がったリゾート地で過ごした4日間は、贅沢な日々だった。プールで泳ぎ、疲れたらブールサイドで読書。絵に描いたようなバカンスだと感動する私に、「高い飛行機代使って、たった4日間のバカンスですか?それで仕事の疲れが取れますか?2週間は必要でしょう」と現地で知り合った人に笑われ、「ウサギ小屋の住人にはこの程度で十分」などと答えてしまった。ウサギ小屋という言葉がすぐ出てきた自分に少々驚く。日本人のバカンス感の限界か、はたまた私個人の限界か。2週間こういう暮らしをすると、私の意識や体にどのような変化がおこるだろう。肩や首の芯にある石のようなコリはとれるだろうか。いや2週間も耐えられなかったりして・・・と想像しながら苦笑する。

 放送は、人々の暮らしを描き、暮らしに必要な情報を伝える。伝える側の意識は何によって形成されているのか。自分が考えている「常識」や「普通」はどこまで通用するものか。「普通」の基準をどこにおいているのか。ウサギ小屋の住人を自覚しながらも、視点までウサギ小屋になるのは避けたいし、違う「常識」や「普通」を知るためにも、もっと海外に出ていこうと思った。できれば2週間コースで。


「ニュースレター発送」
2008年8月15日

 アナウンスハウスは現在3つの非営利グループの事務局を務めている。女性放送者懇談会、ジェンダー&コミュニケーションネットワーク(GCN)、そして、松井久子監督の第3作を応援する会である。狭い事務所の中で、スタッフは、鳴った電話機によって、「ハイ、女性放送者懇談会です」、「ハイ、マイレオニー事務局です」と使い分けている。この「マイレオニー」というのは、松井監督の次作の応援団の呼称で、作品名「レオニー」(仮題)からとった。「そういう映画を見たい」という思いがつながってできたサポーター軍団である。

 作品は、彫刻家イサム・ノグチの母親、レオニー・ギルモアの生き方を描いた日米合作というスケールの大きなもので、当然巨額の資金が必要である。しかし、大企業や組織が後ろにいるわけではないので、監督が単身で資金集めに奔走し続け、やっと製作のための準備が整い、配役とスタッフ選びの詰めの段階に来た。このこと自体が「奇跡的」という人もいる。私たちサポーターは、ここ数年、日本の企業と交渉し、同時にアメリカの映画界とも交渉を重ねる監督に、製作にたどり着くまでの道のりの険しさを見てきた。

 華奢な体の監督を支えているのは、自分の作品を支持してくれる多くの人が必ずいるという強い信念であり、ハリウッドが描く日本ではなく、歴史に残る日本の文化を日本人である自らが映像で表現したいという思いである。

 こうした監督の思いが多くの人に伝わり、製作に入るずっと前からサポーターになってくれた方々が全国で2000人を超えた(8月10日現在)。この方々に向けたニュースレターを先日仲間たちと発送したのだが、宛名書き、ラベル張り、封筒詰めして発送という一連の作業にはかなりの時間がかかった。汗が落ちないように鉢巻を巻いて作業するメンバーもいた。2000人の重みである。

 私たちの次の目標は、来年のクランクイン予定までに1万人のサポーターを集めることだ。大資本が生み出す映画のほかに、個人個人の「そういう映画なら見たい」という緩やかなネットワークが作品を生み出す、オルタナティブな仕組み作りの一助になればと考えている。1万人のサポーターに宛てたニュースレターの発送作業は大変だろうなあと、余計な心配をしつつ、新しくつながった仲間たちと緩やかに「マイレオニー」の活動を続けている。



「甲子園と女性アナ」
2008年8月3日

 夏の甲子園が始まった。球児たちは1試合の中で大きく成長したり、時に脆くも崩れて行ったりする。底知れぬ力が正と負のベクトルとなって現れる。これも若さの魅力だろう。この時期、放送局スタッフも甲子園で真っ黒に日焼けしながらこうした球児たちの活動を追いかけている。

 開会式の模様を伝えるNHKテレビでは、男性・女性アナウンサーが並んで実況を務めていた。この後、熱戦が繰り広げられる甲子園球場から女性アナウンサーの声は、どれくらい聞こえてくるだろうか。

 高校野球の地方予選の中継を女性アナウンサーが担当することが「ニュース」になったのはいつだったろう。かれこれ10年以上たっただろうか。その後ニュースで聞かないのは、女性アナの野球中継が珍しくなくなったからと思いたいが、そういう実感は残念ながらまだ持てない。

 報道の世界で、女性アナウンサーが読む政治ニュースは信用できないといわれた時代があった。女性の担当は季節の話題と天気予報が「相場」だった。今、これを書いていてもちょっと笑えるぐらい、放送界の認識も社会の受け入れ態勢も大きく変わった。今や女性のニュースキャスターは「当たり前」のことである。これには女性たちの地道な努力もあるが、そうした女性たちを支えた放送スタッフの功績も大きい。

 同様のことはスポーツ界にもある。間もなく北京オリンピックが始まるが、このオリンピックにおいて女子のマラソンの記録更新は驚異的である。「女性は長距離を走ることは生理的に出来ない」と信じられていたことが嘘のようだ。女子マラソンが正式種目になってからわずか20年ほどということを考えると、時代と人々の意識は、変わるときにはあっという間に大きく変わるものであることを教えてくれる。

 何事も「女性初」は大変である。失敗すれば「だから女は駄目なんだ」という烙印を押されかねない。周囲の責任も問われることになりかねない、様々なプレッシャーがのしかかる。それでも、真摯に活動を続けることで道は少しずつ拓けてきたし、これからもそうであると信じたい。

 今日も、甲子園では熱戦が繰り広げられる。スタンドから女性アナウンサーのレポートは聞こえてくるだろうか。いつの日か甲子園での中継を夢見て、真っ黒になりながら地道に取材活動を続けている女性がいるだろうか。そうした「彼女たち」の「晴れ姿」を見ることも私の甲子園に対する夢のひとつなのである。



アナウンスハウス ホームページリニューアル
2008年7月6日

 新しいホームページにいらしてくださってありがとうございます。初めてアナウンスハウスのホームページを作ったときは、今のような常時接続ではありませんから、刻々と増える通信料にビクビクしながら、切ったり繋いだりを繰り返していたことを懐かしく思い出します。
 この間、放送を取り巻く環境も変わり、今、地上波の番組ではフリーランスアナの出番が激減し、タレントさんやコメンテーターと呼ばれる識者が登場する番組が増えました。実際、今のタレントさんには優秀な人が多いのも事実です。芸能界という激しい競争社会の中で生き残りをかけての努力は人一倍でしょうし、そうしたタレントさんたちと同じ土俵で仕事をする「女子アナ」と呼ばれる局アナの皆さんの苦労は想像以上だと思います。
 それでは、フリーランスのアナウンサーは、どこで仕事をしているのかですって?参考までにアナウンスハウスの各メンバー紹介欄でご確認ください(笑)。
 放送のチャンネル数が大幅に増え、「放送」の概念も変わりつつありますが、言葉の力を音声に乗せて伝えるアナウンサーという仕事は、むしろ重要性を増しているのではないかと感じています。企業活動において、教育現場において、そして地域のコミュニケーションにおいて、人の声の持つ力をもっともっと活用していただきたいのです。
 そうした活動にフリーランスのアナウンサーが関われるよう、このホームページというインターナショナルな道具が、幅広い年齢層、幅広いジャンルの方々に使い勝手のよい道具となるように、時間をかけて作ったのが今回の新しいホームページです。
 ご質問などがありましたらどうぞご連絡ください。 お待ちしています。



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